名前: 今橋 |
読み: いまばし |
弘化年間(1844〜1848年)に板屋和栗仁左衛門が石橋に改装し、当時西国一の豪商と言われた大阪の鴻池善右衛門の老舗のある今橋町(現在の大阪市中央区)にあやかって「今橋」と命名したと言われています。 大正 15 年(1926年)に当時皇太子で摂政宮であった昭和天皇の行啓に合わせて改修することになり、今の「今橋」が新築されました。 その当時の倉敷町の改修予算では足りなかったため、大原孫三郎が工事費一切を資金援助しました。 橋の図案・設計は児島虎次郎と薬師寺主計、彫刻は虎次郎の甥の児島矩一、工事監督に村木卓郎(倉紡建築技師)、施工は藤木工務店が担当しました。 新築された「今橋」は、全長 7 メートル、幅 5.5 メートルとなり、今までのように橋の下を船が通ることもなくなったため、従来の太鼓橋から現代的な眼鏡橋へと変更されました。 「今橋」の橋の欄干には陰陽 20 の龍が彫刻されています。児島虎次郎の苦心の作図になる「鶴駕(かくが、皇太子の車)」を奉迎し聖代を頌(しょう)する群龍の図を用いています。また、「今橋」の文字は大原孫三郎自らが揮毫(きごう)しました。 |